ルノワール(1841-1919@フランス)はここで花の絵を見て好きになった
「花を描かせたら右に出るものはいない」と言われるように、もはや実物の花よりも華々しいのでは、と思うほど美しい、もはや誇張されているのではとさえ思えるほど華々しい花の絵だった
ルノワール(1841-1919@フランス)はここで花の絵を見て好きになった
「花を描かせたら右に出るものはいない」と言われるように、もはや実物の花よりも華々しいのでは、と思うほど美しい、もはや誇張されているのではとさえ思えるほど華々しい花の絵だった
三島喜美代展@練馬区美術館
新聞紙や空き缶、漫画雑誌などを陶芸で作品にした人
初期の頃はシルクスクリーンでウォーホール風の絵も制作しており、メソドロジカルな印象
溶融フラグと土で作品を作ってたあたりも、美術の方法を重視する姿勢が読み取れた
本来であれば捨てられてしまうものを、陶芸として作品化し、“残す”のは面白い
今の情報化社会、大量消費社会を批判しているようにも思えた
新聞はその代表格。非常に賞味期限の短い情報を載せる媒体であり、大量のゴミにもなる
この超情報化・大量消費化社会が本当に正しいものなのか
そういう批判をしているようにも思える一方で
ゴミを陶芸化するというその美術的プロセスを単純に楽しんでいるだけにも思えた
いわばポップアートの一種として
アーティゾン美術館のブランクーシ展
(1876-1957@ルーマニア)
「本質を象る(かたどる)」というタイトルの通り、本質を追求し続けた結果、卵型や流線型などすごく単純化された造形に辿り着いた、という事だったのかと。
卵型頭部の近くにモディリアーニの絵が飾ってあったのが印象的でした。(お互い仲が良く、影響も受けた?)
本質追求し続けると、これほど鳥も、魚も、人間の頭部もシンプルな造形になるのか、という印象
途中デュシャンの作品もありましたが、本質を突き詰め、造形をシンプルにしていくと、その極地にはデュシャンのようなコンセプチュアルアートがあるのかも、と思った
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もう一つは同会場の清水多嘉示展
ブールデル(弓を射るヘラクレス)から影響を受け、中村彝(つね)と仲が良かった画家
ブールデルやザツキンをかつてのブリヂストン美術館で紹介した人